※過去記事再掲 今日作業の合間に休憩してるとき、ふと頭の中に降りてきたものがありました。天啓というには、当たり前過ぎることかもしれませんけど。それは、「人類は人に何かを問う時、その殆どはただ同意を得たいだけなのでは?」というものです。 共感するというのは時として自分の価値観をねじ曲げたり犠牲にしたりしなければならないし、だからといって自己意思を主張するというのは批判とも捉えられて衝突を生むかもしれない。どちらを取るか毎回危ない綱渡りをするなんて疲れますよね。でもそんなとき同意ならば、問われたことの中に真理を見出して返すだけなので自分を消耗しづらいし、安全なんじゃない?っていう。 例えば「猿ってキリンだよね」と言われて直ぐに「違うよ」と否定するのではなく、「どっちも哺乳類だよね(否定はしていない)」と答えるとか、「アボカドってプリンだよね」と言われれば「どちらもクリーミーで甘くて美味しいよね(多少主観は踏まえつつも相手の言うことを否定はしていない)」とか。例えがあまり良くなかったですかね、伝わります? 自分の価値観を曲げることも、下手に自分を開示することもなく、相手が求めている且つそこそこ納得出来る回答って、結局これなんじゃない? というところに帰結しました。 共感か、もしくは批判かという二極になったとき、どっちも不正解という厄介な場合もありますよね。「意見を聞いてるのになんで言ってくれないの!」とか、「ただ共感して欲しいだけなのに!」とか。普段からその人の行動パターンを把握しているならそこまで極端に的外れな対応をすることはないですけど、いつだってわかりやすいとは限らない。だけど、相手を尊重したまま危険な断定を避ける感じの同意を一旦挟めば、大抵のことは衝突しにくいのでは? って思うんですよ。だってそもそもな話、自分を否定されたくて問う人はほぼいないじゃないですか。「どっちが良い?」みたいな問いも、まずは「自分を頼ってくれてありがとう」「まぁこれは悩むよね」という視点から入れば、余程のことを言わない限りそこまで大きな衝突にはならないんじゃないかなぁ。……ん~どうでしょうね、全部が全部そんなことはないかもしれないですけど。傾向として、って話です。 何かを聞きたい時って、結局は「答えが分からずに人に頼る自分、もしくはその選択をした自分を相手に否定されたくはない」という思いが、根っこにはそれなりにあるものでしょう。そこを突付かれてしまうと、自己防衛の為に攻撃的になってしまう。即ち逆を言えば、一旦そこさえ踏まえた上で答えればそれなりに悪くない初動が出来るように思います。というか、何ならその初動でそこそこ相手が満足する場合も多いんじゃないかな。それでも尚会話を発展させたいと思うならば、その時はその時です。相手だってきっとこういう始まりの方が続きを話しやすいでしょうし、自分も下手に消耗も開示もせずに済みますし。Win-Winなんじゃないかな、って。……まァ、世の中逆張りしたがる人も非常に多いですし、人間の性質がもともとそういうものなので、それが難しいだろって話なんですけどね。でもこちらが一歩引いたこういう受け止め方をすれば、お互いに無闇に傷付くことも少なくなると思いますよ。 一通り書いてから、アレ、これ普段からやってることを説明してるだけだし、別に改まって言うことでも無かったかも……? とも思ったんですが。折角ここまで書いたので、言語化メモとしてここに残しておきますね。 嗚呼それと、こんなことを言ってますが僕は別にそんなに優しくは無いです。ただ不必要な争いは避けたいっていう、平和主義なだけですよ。呪い(のろい)も恨みも一度発動してしまったら、即キャンセル、なんて出来ないですから。 |